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僕らの隣にはチャンスがある

東北関東大震災から一週間が経った。あれから時間軸がズレまくっているので、早いのか長かったのか、まったく判断がつかない。ただ14時46分に黙祷したら、いろんな記憶が頭のなかを通りすぎていき、嫌な気分になった。あの日を境に、世界は一変したから。





こういう場所で強がったことを書いてるくせして、実は僕も不安だらけだ。「大丈夫かもしれない」と思った数時間後に、恐怖感から動悸がおかしくなったり。しかも、首相自ら福島第一原子力発電所についての不安を煽ったりするような状態だからたちが悪い。「本人が恐いんだろうな」ってことは想像できるが、国民としてはたまったものではない。





いずれにしても悔しいのだ。せっかく景気が戻りつつあったにもかかわらず、また逆戻りしなくてはならないのだから。しかし、実はそこに未来への鍵があるのではないだろうかと感じているのも事実。

おそらく日本人はこういうとき、状況をプラスに転化できる人種だ。なぜなら穏やかに見えるけれど嫉妬心が強いから、他の国々に遅れをとることに耐えられない。しかも自尊心の塊だから、負けを認めたがらない。そういった要因が、こういうとき大きなパワーに結びつく気がするのだ。そして全国民が同じ気持ちになれれば、日本は必ず復活する。





だからこそいまは、身がすり切れるほど仕事がしたいと思っている。そしてガンガンお金を稼ぎ、じゃぶじゃぶ消費したい。そんなマインドは必ず、経済を活性化させるに違いないからだ。だから同じ気持ちを、少しでも多くの人と共有したい。「お金」という単語が出てきた瞬間にイメージはギラつくかもしれないが、実はそんな思いを持つことこそが復興のために必要だ。





失ってしまった。
未来がない。
そんな状態に満足できるか? そのままでいいのか?
いいわけねーだろバカヤロー!
だったら働くんだ。そして、国を復興させるんだ。






終戦直後の日本を生きた世代の原動力は、そんな思いだったのではないだろうか。そしてそれはそのまま、311以降の日本を生きる我々にも当てはまる。だから、そんな時代を生きているという事実を、我々は積極的に受け入れるべきだ。「よし、稼いで稼いで、世界を見返してやろう」と考えるべきだ。

かといって僕自身、「じゃあ、なにができるのか」と問われたら返す言葉はまだない。しかしそれでも、いまこそ意地を張らなければいけないと思っている。だから、これからの仕事について真剣に考えていきたいのだ。

僕は典型的な日本人だから嫌というほどわかるのだが、311直前までの我々には、そこまで言い切れる力が欠けていた。だから、「景気、戻りつつあるかも……」というところでいつまでも止まっていたのだ。どこかギリギリのところで守られていたというか。





でも、失ってしまったいまなら行ける。失った以上はふたたび「得る」ことを考えるしかないし、考えればいい。すごくシンプルな発想だ。前に家を火事で失ったことを書いたが、そのときにも同じことを考えたので、強く主張できる自信が僕にはある。

僕らのすぐ隣にはチャンスがある。











Strictly BusinessStrictly Business
(1991/07/01)
Epmd

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エリック・サーモンとパリッシュ・スミスによるヒップホップ・ユニットのファースト・アルバム。名前の語源は“Erick and Parrish Making Dollar(エリックとパリッシュはドルを稼ぐ)”。ファンクに根ざした音楽性の高さもさることながら、このストイックな成金根性がめちゃめちゃクールだ。ヒップホップのマインドって、つまりはこういうこと。いま聴いてもまったく色褪せることのない、紛いなき古典。







若い世代の未来のために

取材に向かう途中の丸ノ内線が、新宿駅でしばらく止まった。
車両が駅に着いたとき、ちょうど地震が起きたからだ。地下鉄の車内で揺れを感じたのは、初めてのことだった。

なにか無性に腹が立った。理不尽な怒りだということはわかっているのだが、「いつまで不安にさせるんだよ」と思わずにいられなかったのだ。

いや、違うな。厳密にいえば、地震は仕方がないと思っているのだ。ただ今回は、それに付随して原発事故が起きた。そのことがずっと頭にあったから、気持ちがまた揺らいでしまったのだと思う。いまこうしているときにも現場で命をかけている方々に、最大の敬意を表したい。




ところで同じころ、息子は吉祥寺にいたらしい。おそらく、歩いて気分転換をして、気持ちを落ち着けたかったんだと思う。たとえ言葉に出さなくとも、彼が「自分がしっかりしなきゃ」と気張っていることは嫌というほどわかっていた。

あとで聞いたら、「ガッツリ食って元気つけなきゃ」ってことで「すた丼」でガンガン食ったのだそうだ。で、そのとき有線からSMAPの「世界にひとつだけの花」が流れてきて、涙が止まらなくなってしまったらしい。しかも、こういう時期なのに店員も明るく働いているので、「日本はまだ大丈夫だ」と思ったという。




正直、ぐっときた。
息子に限らずすべての青少年にいえることだが、これから羽ばたこうとしている彼らにとって、今回の出来事はあまりに酷だと感じていたからだ。やりたいことがあって、好きな子がいたりもして(知らないけど)、悩みもあって、それが青春だ。そこをいかに通過するかで、その後の人生の意味は変わってくるだろう。しかし、だからこそ絶対に、大人の失敗のために彼らの未来を無にするわけにはいかないのだ。そんなの、たまったものじゃない。




そういう意味でも、今回は絶対に失敗してもらうわけにはいかない。現場の方々にとって楽なことではないけれど、ぜひとも着地点を見つけてほしい。
若い世代の未来のために。

そして、そこまでしてくれたなら、そこから先は我々の出番である。つまり、こういうことだ。原発を筆頭に、いままで疑問視されなかった事象ひとつひとつを再検証し、それらが未来にとって本当に必要なのか否かを見極め、本当の意味での新しい社会構造を構築していくべきだということだ。

それが僕らの責任で、あとのことは次の世代に任せればいい。
そう、そこから彼らの仕事がはじまる。









バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲)バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲)
(2004/04/21)
クニャーゼフ(アレクサンドル)

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アレクサンドル・クニャーゼフ
バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲)

久しぶりに、アレクサンドル・クニャーゼフの「無伴奏チェロ組曲」を聴いている。若くして才能を発揮するも、両手の筋力が低下する難病に。その後復活して活躍するが、32歳のとき、演奏旅行の移動中に交通事故に遭って最愛の妻を失い、自らも重傷。一時期は再起不能状態に陥ったにもかかわらず、見事に復活したというすごい経歴の持ち主だ。というだけあって、その表現はきわめて奥深い。一度聴いたら、おいそれと離れられない。そしてこの奥行きは、いまのこの時期にとても合う気がする。

仙台の友人の消息

仙台の友人の話。
といっても、会ったことはないのだけれど。

交流は数年前、僕のブログに足跡を残してくれたことからはじまった。あとから聞いたら、僕が昔出した本の読者だったのだそうだ。ありがたや。

ともあれ、それがきっかけで、僕も彼のブログを見る習慣がついた。ほとんど文章がなく、アップされているのはほとんど顔写真ばかり。だから「自己顕示欲が強い奴だなぁ」と思っていたのだけど(笑)、その濃いめの顔を見ることが、いつしか日課になった(いや、ヘンな趣味はない)。

メールのやりとりをするようになり、二児の父親であることを知った。
今年初めて年賀状のやりとりをしたのだが、たしかにそこには四人家族が写っていた。彼ときれいな奥さんと、お兄ちゃんと妹。いい家族なんだろうなということが、幸せそうな表情から伝わってきた。

そして、手書きのメッセージが書いてあった。








いつも楽しくブログ見てます。そんで今年は会いたいっす








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僕もぜひ会いたいと思っていたので、その日がくるのを楽しみにしていた。








そんな矢先の、東北関東大震災。
仙台市民である以上、被災した可能性は充分にあった。しかも嫌な推測を裏づけるかのように、ブログの更新がしばらく止まっていた。

気になってツイッターをたどっていったら、海外にいるらしいお姉さんからのメッセージも見つかった。やはり連絡がとれなくて、心配しているようだった。メッセージを残したが、返事がくることはなかった。そうでなくとも、テレビでは惨状ばかりが映し出されていたものだから、これはもう諦めるしかないのかなと思った。

僕は過去に、大切な友だちの死を体験している。某レコード会社のディレクターだ。明るく仕事もでき、死ぬ必要がひとつもない男だった。けれど彼は去った。そんな経験があったから、「また、同じパターンか」とため息が出た。もう完全に、彼は逝ったと思い込んでいた。つい数時間前まで。

さっき、iPhoneがバイブレーター音を響かせた。見てみたら、こんな一文が表示されていた。

印南さん!生きてます。電気が復旧してなくて携帯充電するのもやっとでした。みんな無事です!本当に生きてることに感謝です。今も電気も水も供給されていない人達のことを考えると泣けてきます。そちらは大丈夫ですか?

恥ずかしいんだけど見た瞬間、涙がどっとあふれてきた。声を出して泣いた。彼からの連絡がきっかけで、ずっとため込んでいたいろんな緊張が一気にほぐれたのかもしれない。




それにしても、まさかこんな再会をすることになるとは。尊敬してやまない昭和の中間小説作家、源氏鶏太の小説(題名失念)を思い出した。戦争で解散状態になっていた会社に、「おお、生きていたのか」と声をかけあいながら社員がぽつぽつと集まってくる場面だ。




僕らはいま、そんな状況に生きているのかもしれない。




そう、これは戦争だな。
ついさっきも、静岡で大きな地震があった。
今度はそっちか。
日本列島は、いったいどうなってるんだ?
いったい、どうなるんだ?








いや、でも負けない。
みんな、負けるな。
一緒に生きようぜ。
そして、いつか笑おう。

だから日本は終わらない

5歳の娘が抱きついてきて甘える。だから日本は終わらない。
16歳の息子が文句ひとつ言わず、家族のためにがんばっている。だから日本は終わらない。
妻が不安を顔に出さない。だから日本は終わらない。

未来ある子どもたちがたくさんいる。だから日本は終わらない。
幸せな家族がたくさんいる。だから日本は終わらない。
幸せではない家族もたくさんいる。だから日本は終わらない。

街に出るだけで、日本人の民度の高さを実感する。だから日本は終わらない。
これだけの危機なのに、みんな落ち着いている。かっこいい。だから日本は終わらない。
みんな、不安を笑顔で隠している。だから日本は終わらない。

スーパーで買いだめしている人がたくさんいる。どうかと思うが気持ちはわかる。だから日本は終わらない。
不真面目な奴に怒る奴もいる。だから日本は終わらない。
電車内でキレかけた人をなだめる人がいる。だから日本は終わらない。
嫌な奴もそこそこいる。だから日本は終わらない。
茶化したがるバカもそこそこいる。それが社会だ。だから日本は終わらない。

知人から穏やかな口調のメールが届く。だから日本は終わらない。
ツイッターとフェイスブックが古い知人との距離を縮め、それが役立っている。だから日本は終わらない。
また余震がある。知ったことか! だから日本は終わらない。

東京電力は20年前から大嫌いだ。でも、いまの彼らの本気度はわかる。だから日本は終わらない。
原子力発電所で、命をかけている人がいる。だから日本は終わらない。
彼らは、何度失敗しても諦めない。だから日本は終わらない。

韓国救助隊の連れてきた犬が逃げたという報道が、笑い話になった。だから日本は終わらない。
亡くなった方々への思いを、見ず知らずの我々が心にとどめている。だから日本は終わらない。

妻と娘の笑う声が、バスルームから聞こえてくる。だから日本は終わらない。
娘のことを、かわいいと思う。だから日本は終わらない。
息子のことを、頼もしいと思う。だから日本は終わらない。
妻のことを愛しく、とても誇りに思う。だから日本は終わらない。

ここに書いてきたのと同じようなことを、国民ひとりひとりがそれぞれの生活のなかで感じている。だから日本は終わらない。

国民全員が、同じ結果を望んでいる。だから日本は終わらない。
国民全員がいま、日本人であることを誇りに思っている。だから日本は終わらない。
国民がひとつになっている。こんなことは過去になかった。だから日本は終わらない。

いまの日本人のポテンシャルは、たぶん終戦直後のそれに匹敵する。
素敵な人がこれだけたくさんいる。だから日本は終わらない。
みんなが信じている。だから日本は終わらない。

終わるはずがない。
最後まで、意地でも信じよう!

「がんばろう」という言葉

地震が起きて以来、過去の僕が通過してきたある体験のことを思い出すことが多い。1979年10月30日のことだ。



体調がおかしいわけでもないのに、その日は学校にいても妙に居心地が悪かった。翌日から修学旅行ということで教室内は浮き足立っていたのに、自分だけが空気に溶け込めなかった。

3時間目までがんばったが、適当に理由をつけて早退することにし、「印南、バックレかよー」というクラスメイトの声に手を振って学校を出た。空の青い日だった。

地元の駅前で信号を待っているとき、抜けるような空へ真っ黒な煙が上がっていることに気づいた。どうあがいても自分をごまかせそうもない方角だったので慌てて駆けていくと、案の定、僕の住む家が、数時間前までそこにあった家が燃えていた。

祖母の、煙草の火の不始末が原因だった。本人は外出していた。母が、消防車の助手席に座らされて質問を受けていた。僕が父の会社に連絡した。一時間ほどして戻ってきた父は燃え続ける家を見上げながら「また建てるよ」と笑ったが、涙が頬に伝っていた。野次馬のなかに見つけた幼なじみに「おう」と片手を上げたが、返事をせず上目づかいで消えて行った。着るものがなくなってしまったので近所の用品店へ服を買いに行ったら、店のおばちゃんが「これ、使ってね」と白いハンカチをサービスしてくれた。

とにかく、数時間で状況が一変した。住む場所がなくなったから、近所の方が古い離れを開放してくれた。僕の家族は、トイレが汲取式で風呂もないその家で数ヶ月を過ごした。

その日の夜のことだ。父と母、弟と僕は輪になって座っていた。

「がんばろうね」

誰かに促されたわけでもないのだが、みんなで声をかけあっていた。がんばればどうにかなる保障があったわけじゃないのに、「がんばろうね」と言葉にすると、不思議と気持ちが楽になった。



数日前に日本がこうなって、あの日を思い出すことには理由がある。少なくとも僕や僕の周囲では、みんなが無意識のうちに「がんばろうね」、「がんばりましょう」と声をかけあっているからだ。そしておそらくひとりひとりが、その言葉のどこかから力を抽出している。

事態がこれからどうなるのかは、まったく予測がつかない。しかし「がんばろう」という気持ちをひとりひとりが持ち続けることは、意外に大切なことなんじゃないかと思っている。

長文になってしまった。最後に、数日前なにげなくツイートした一文を。



ものすごく非現実的なことを書かせてください。現実問題としてなにひとつ望みがなく、しかし人の気持ちだけは強くそこにあるとき、奇跡というものが起きるのではないかという気がする。
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