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いまこそ「鈍感力」を持とう

全員が集まった夕食時、ずっと気になっていたことを家族に伝えた。福島第一原発事故にまつわる、自分自身の気持ちだ。





ずいぶん時間が経ってしまったのだけど、自分がそのことについてどう考えているのか、あるいはどう伝えたらいいのかを整理し切れないでいたのだ。でも、ようやく漠然と気持ちに整理がついてきたので、遅ればせながら話をした次第。





話したのは、こういうことだ。





原発事故はこちらの予想を越えたレベルにあると思う。我々は今後、いままで以上に原発とは異なる代替発電について考える必要がある。それは、未来への答えになると思う。

とはいえ、目の前にある現実は生々しすぎる。あくまで極論だが、もしかしたら今後は、家を捨てて海外へ移住するくらいの気持ちを持っておくことは必要なのかもしれない。

ただしそれはあくまで極論であり、もっと大切なことがある。






忘れないでおいてほしいのは、恐ろしいくらいの現実を認めたうえで、あえて「鈍感」でいてほしいということだ。







いまほど「鈍感力」がものをいう時期はない。それは、現実逃避とはまったく意味が違う。
現実を受け止めたうえで鈍感でいるということは、大きな力以外のなにものでもないからだ。恐いのはお互い様だけど、あえて鈍感を決め込んで楽観的に現実と向き合えば、必ず結果につながる。だから、バカと言われようが、目の前にある現実と、その先にある未来を信じてほしい。





逆に、危惧しているのは暴走しすぎる情報だ。たとえばツイッターを見ていて僕がなにより危惧するのは、(おもに文化人による)危機感や不安感を煽りまくるツイートだ。





何度も言うように僕は絶対的に反原発派だが、だからといって「メディアが取り上げない現実」や「必ず訪れる危機についての考察」や「数年以内に終わる日本についての根拠」を声高に主張することは、必ずしもいい効果をもたらさないと思っている。なぜなら、それは大きなリスクしか生み出さないからだ。





つまりそれは多くの人の心のなかに、いいようのない不安感や絶望感を植えつける効果しかもたらさない。そしてそれは果たして、原発よりも恐ろしい効果を人々にもたらすと思えてならない。





なぜなら、いまある現実は、どうあがいたところで覆すことはできないからだ。日本は明日終わるのかもしれないし、そうでないのかもしれない。けれどそんなことは、頭のいい人たちに言われなくたって、みんなとっくにわかっていることなのだ。





なので思うのだが、「もう日本はだめです」、「終わります」と主張することになんの意味があるのだろう?










言われなくても、みんなわかっているよ。










でも、そんなことより大切なのは、目を背けたくなる現状を踏まえ(あるいは、現実を知らない人にはあえて教えず)、「原発撤廃を踏まえたよりよい復興」の実現を目指すことなのではないだろうか。





僕はそう思うし、だとしたらヒステリックに「危ない危ない終わりだ終わりだ」と煽りまくる論調はマイナスにしか作用しないと感じる。





だからこそ、(繰り返すけど現実を受け止めたうえで)鈍感をキメ込むことが重要だと思うのだ。それが現時点での知性だと思う。(脱原発という)目的は同じなのだから、鈍感なふりをして現状を変えていけばいい。そうすれば、やがて未来は僕らに対して答を提示してくれる。逆にいえば、ヒステリックなアプローチはマイナスの結果につながるだけだ。










なので、鈍感に前を向こう。
家族にも、それを伝えたかった。










結果、みんながわかってくれたので安心した。というか息子からは、「その話を待っていたし、もっと早く言ってほしかった」と言われた。





そうだよな。でも俺も、どう伝えたらいいのかわからなかったんだ。
しかし、もう大丈夫だ。これからは「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる」を信じていこう。
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