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「がんばろう」という言葉

地震が起きて以来、過去の僕が通過してきたある体験のことを思い出すことが多い。1979年10月30日のことだ。



体調がおかしいわけでもないのに、その日は学校にいても妙に居心地が悪かった。翌日から修学旅行ということで教室内は浮き足立っていたのに、自分だけが空気に溶け込めなかった。

3時間目までがんばったが、適当に理由をつけて早退することにし、「印南、バックレかよー」というクラスメイトの声に手を振って学校を出た。空の青い日だった。

地元の駅前で信号を待っているとき、抜けるような空へ真っ黒な煙が上がっていることに気づいた。どうあがいても自分をごまかせそうもない方角だったので慌てて駆けていくと、案の定、僕の住む家が、数時間前までそこにあった家が燃えていた。

祖母の、煙草の火の不始末が原因だった。本人は外出していた。母が、消防車の助手席に座らされて質問を受けていた。僕が父の会社に連絡した。一時間ほどして戻ってきた父は燃え続ける家を見上げながら「また建てるよ」と笑ったが、涙が頬に伝っていた。野次馬のなかに見つけた幼なじみに「おう」と片手を上げたが、返事をせず上目づかいで消えて行った。着るものがなくなってしまったので近所の用品店へ服を買いに行ったら、店のおばちゃんが「これ、使ってね」と白いハンカチをサービスしてくれた。

とにかく、数時間で状況が一変した。住む場所がなくなったから、近所の方が古い離れを開放してくれた。僕の家族は、トイレが汲取式で風呂もないその家で数ヶ月を過ごした。

その日の夜のことだ。父と母、弟と僕は輪になって座っていた。

「がんばろうね」

誰かに促されたわけでもないのだが、みんなで声をかけあっていた。がんばればどうにかなる保障があったわけじゃないのに、「がんばろうね」と言葉にすると、不思議と気持ちが楽になった。



数日前に日本がこうなって、あの日を思い出すことには理由がある。少なくとも僕や僕の周囲では、みんなが無意識のうちに「がんばろうね」、「がんばりましょう」と声をかけあっているからだ。そしておそらくひとりひとりが、その言葉のどこかから力を抽出している。

事態がこれからどうなるのかは、まったく予測がつかない。しかし「がんばろう」という気持ちをひとりひとりが持ち続けることは、意外に大切なことなんじゃないかと思っている。

長文になってしまった。最後に、数日前なにげなくツイートした一文を。



ものすごく非現実的なことを書かせてください。現実問題としてなにひとつ望みがなく、しかし人の気持ちだけは強くそこにあるとき、奇跡というものが起きるのではないかという気がする。
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